愛犬の訓練 究極の目的とは?
「残飯で番犬」が一般的だった半世紀前から、現在は飼養概念も環境も大きく変わりました。大型犬でも屋内で共に暮らし、ワクチンやグルーミングといった必要なケアも怠らない、立派なオーナーが増えました。しかし、ペットとの生活・成育において、おそらく「ひとつだけ」欧米のペット先進国に追いついていないのではないか、と思われる点があります。それは、多くの飼い主がいまだに自分や家族のみをペットの愛の対象としているということです。たまに、誰にでもなつく犬を同伴しているオーナーに会っても、この子は幼少時からこうなんです、と仰います。これはこれで極めて幸運なケースです。ところが愛犬家のなかには「それでは困る」と考える人々がいまだにいるんですね。自分にしかなつかない、というのは、たしかに「愛が自分に向かっている」ということではありますが、ここには2つの後進性が認められるのではないでしょうか。まず、自分だけが愛されたい、というエゴイズム。もうひとつは、自分という飼養者を万一にせよ失うこととなった場合、手を差しのべる者がだれもいなくてもかまわないという無思慮です。ひとに牙を剥く犬を、だれが引き取ってくれるでしょうか。すべてに先進というわけではありませんが、欧米人・外国人家庭の愛犬たちは多くの場合、フレンドリーであり、トイレのしつけもついていて、少なくとも人が迷惑に感じる存在ではありません。 Socialize 社会適応化されているのです。現在のような高齢化が進むまでは、オーナーが突然にペットの飼養能力を失うというのは極めて稀なことでした。いまはちがいます。特に単身・独居のペットオーナーには、早めに考えていただきたいことです。